« No.19 ">

    
    
カブライ / 外堀なんてなかった

 新生メリニの宰相補佐として働き出してから、カブルーはこの仕事が天職だと思った。
 複雑に絡み合う人間関係、腹の探り合い、いかに上手く相手を誘導してこの国に有利に物事を運ぶか等々……カブルーにとってはそれが楽しくて仕方がなかった。
 生憎とカブルーの仕える王はそう言ったことが大の苦手のようだが、それならばカブルーが支えればいいと思っている。人には向き不向きがあるのだ。
 もう少し人の顔や名前を覚える努力はしてほしいところだが、今のところは問題なくやっていけている。
 ところでカブルーには懸想している相手がいた。その懸想の相手が誰あろう、新生メリニの国王となったライオスである。
 カブルー自身でも認めたくはないが、ライオスのことを心から恋慕っていた。否、恋慕っている。残念ながら現在進行形の気持ちである。
 どうしてライオスのことが好きになったのかと内心で自分自身に問い詰めたが、気がついたら好きになっていたのだから仕方がない。理性も何もかなぐり捨てて逆に冷静になった自分が切り捨てた。
 きっと彼が国王となる前から好きだった。だから殺せなかったし、殺さなくて良かったと心から思っている。
 そんな相手と、どうこうなりたいと思うのは自然の流れで。幸いにも自分は今、最もライオスに近しい立場にいると自負している。
 この立場を利用しない手はない。仕事では親身になってライオスを支え、プライベートでも気の置けない友人として――本当にそうなっているかは別として――共に過ごす。
 カブルーが一人でいる時間よりも圧倒的にライオスと共にいる時間が多い。
 けれど、それでも足りない。
 ライオスは壊滅的に他人の機微を察することが苦手だった。だからカブルーがそれとなくアピールをしたところで気づきもしない。
 ならば別の作戦を取るべきだ。外堀から埋めていって、逃げられないようにしてからじっくりとライオスを手に入れる算段を考えるとしよう。
 将を射んと欲するものは、まず馬を射よと東方の言葉にある。それに則って協力者を得ようとカブルーは動き出した。
 ライオスの仲間たちであった人物たちに、それぞれ協力してもらうことにした。
 まずは顧問魔術師のマルシル。彼女はとても簡単だった。恋愛ものの本を渡し、カブルーのライオスへの密かな想いを伝えれば顔を真っ赤にし、妙なテンションで応援すると言ってくれた。
 次にカーカブルードで店を構えるチルチャック。きっと難航するだろうと思い、彼には土産でメリニで一番いい酒を持っていき、陽気に酒を飲んでいるタイミングで打ち明けた。すると彼は酒が不味くなるというような反応を見せたかと思うと、「お前も相当ゲテモノ喰いだろ」と言いつつも意外にもカブルーの味方になってくれたのだ。これは嬉しい誤算だった。
 そしてセンシ。たまたま城下町にいたところを捕まえて、一緒に食事に行かないかと誘った。それを快諾してくれたセンシを、美味しいと評判の店に連れて行き、思い詰めた表情でカブルーはライオスへ恋心を抱いていることを告げた。センシはというと、それはライオスの気持ちの問題だと言って積極的に味方をすることはないが、見守っているという姿勢を取ってくれることとなった。それでもありがたい話だ。
 イヅツミはというと、捕まえた時点で嫌そうな顔をするなり「勝手にしろ」と逃げていった。どうやら何か察していたらしい。積極的に邪魔をしてこないのならば問題はない。
 最後に、ファリン。彼女から協力を得られれば、何より頼もしいことはない。なにしろ彼女はライオスの妹で、ライオスとファリンの距離は非常に近い。あれほど仲がいい兄妹もなかなかいないだろう。
 ファリンには何を贈ろうか迷ったが、とりあえず彼女の好物のフルーツとクリームの乗ったケーキを用意し、お茶に誘うことにした。このケーキはまだ発展途上のメリニ城下町でもかなり有名な店のもので、手に入れるにはそれなりに苦労した。宰相補佐としての権限を私的な目的のために使うわけにはいかない。
 ファリンが帰ってきているタイミングで朝早くから店に並び、まるで宝石のように並べられたフルーツがたくさん乗ったケーキを買った。
 そして仕事がひと段落ついて時間が空いたタイミングで、ファリンに内密の話があると呼び出した。
 侍女に紅茶と買っておいたフルーツケーキの用意をしてもらい、それがテーブルの上に並んだタイミングで話し出す。
「今回、どちらまで旅に行かれたのでしたっけ」
 まずは当たり障りのない会話から、とファリンが行ってきた場所について尋ねる。
「そうだね、今回は東方大陸まで行ってみたんだ。近年は多国籍の人種が多くなって、いろんな文化が
見れるって聞いたから」
 ファリンは楽しそうな笑顔で答えてくれる。東方大陸はノーム最大の国家があるが、ファリンの言うように近年では短命種の流入が多く人口が急激に増え、様々な文化が入り混じっているのだとか。
 そんな会話から始まり、ファリンが旅の道中で経験したことや思案したことを聞きながら、頃合いを伺った。
「――ところで、ファリンさんに相談があるのですが……」
 一度ファリンが口休めに紅茶を手に取った時だった。今が好機とばかりに今度はカブルーが話し始める。
「ファリンさんをこのお茶会に誘ったのは理由があって、」
「うん、兄さんのことでしょ?」
 まさかそんな反応が返ってくるとは思わず、びくりとカブルーの手に変な力が入って、持っていたティーカップの中の紅茶が波を立てた。
 カブルーは目を瞠ってファリンを見つめた。いつから気づいていたのだろうか。
 ファリンのいつものようににこにこと笑っている。だが、その目は笑っていなかった。
「わかるよ、カブルーくん。いつも兄さんのこと、物欲しそうに見てるもん」
 相変わらずにこにこと、テーブルに肘をついて両手に顎を乗せ、歌うように言うファリンに、カブルーの背には冷たい汗が伝った。
 ふとテーブルの上に乗ったケーキを見れば、ファリンの前に置かれた切り分けられたケーキには一口も手がつけられていないことに気づく。今度は頬に汗が伝う。
「でもね、兄さんは、ファリンの兄ちゃんだから。ごめんね、これ、買うの大変だったでしょ?」
 言いながらケーキを指差すファリン。カブルーはただ一言、「そんなことは……」としか言えなかった。
 カブルーが何も言えなくなったのを確認すると、ファリンは今度こそ心からの笑顔を浮かべて「それじゃあね」と言い残して帰ってしまった。
 残ったカブルーは、自分が少しだけ食べたフルーツケーキを見下ろして、汗がだらだらと流れていくのを感じる。
 ――やってしまった、最も敵に回してはいけない相手を敵に回してしまった。
 ライオス攻略の上でファリンは最も重要と言える人物である。彼女が味方でいるのと、敵でいるのとで状況は大きく変わる。
『兄さんは、ファリンの兄ちゃんだから』
 ファリンの声が脳内で再生される。あれは、明確な敵対宣言だろう。きっとライオスとの仲を深めようとすれば彼女が邪魔してくるに違いない。触れてはいけない相手だった、と今更後悔する。
 しかし、どうやら彼女はカブルーの気持ちにも気づいていたようだった。それならば相談していてもしなくても変わらなかったのではないか。
 一口も食べられていないケーキを見ながら、カブルーは今後どうするべきか肩を落とした。
 そうしてやはり、と言うべきか。ファリンがしばらく城に残ると言い出した。
 マルシルは当然のように喜んだし、ライオスだって大切な妹が近くにいてくれるのは安心するのだろう。ただ、カブルーだけが苦い思いをしていた。
 嫌な予感がする。そしてその予感は当たるものだと確信していた。

「兄さん、仕事手伝うよ」
「休憩したら? お茶入れてくるね、兄さん」
「久しぶりに一緒に寝たいな……だめ? 兄さん」

 カブルーと二人きりになるのを阻止するためか、ファリンはライオスといたがった。
 流石に最後のお願いはカブルーが世間体やら外聞だのなんだのと言って却下したが。でなければライオスは確実に許可を出していた。仕方がないなと言って二人同じベッドで眠るのだ。それだけは阻止しなければならないとカブルーは本能半分、嫉妬半分で止めた。
 必然、カブルーはファリンとライオスに気づかれないように水面下での戦いが始まる。
「カブルーくんはよくやってくれてるって兄さんが心配してたから、たまには休んだらどうかな」
「いいえ、僕に取ったらこれは天職ですので。それに王を支えることに不満を持ったことはありませんし、ライオスが休むタイミングで休んでいますので」
「私的な時間を兄さんの護衛のために使わなくてもいいんだよ?」
「護衛のつもりはありませんから、大丈夫ですよ」
 傍から見たらカブルーとファリンの間に火花が飛び散っている。マルシルなんかファリンとカブルーと同時にいるとオロオロし始めるし、たまに城にやってくるチルチャックもどこか居づらそうにしている。気づかないのは間にいるライオスだけだ。
 ファリンに対して早く旅に出ろというカブルーと、早く兄を諦めろというファリンの戦い。
 マルシルはどちらの味方につくか悩んでうろうろしている。好奇心的にはカブルーにつきたいが友情的にはファリンにつきたい気持ちで揺らいでいるのだろう。
 今はなんとか笑顔でマルシルを牽制しているが、いつファリン側につくかわからない。そうなったらどんどん不利な立場になっていってしまうだろう。時折カーカブルードまで足を伸ばしてチルチャックに相談に行きたいが、そんなことをしている間にファリンからライオスへ何か吹き込まれたら困る。
 そうやって暫く水面下での戦いを続ける日々を送っていた、そんなある日のことだった。

「カブルー」
 久しぶりのファリンがいない執務室。ライオスと二人きりということで浮かれていたが、どこか沈んだ様子の声色でライオスがカブルーの名を呼んだ。
「はい? どうしたんですか、ライオス」
 どこか調子でも悪いのだろうか。顔を覗きながら返事をすると、ライオスはどことなく暗い顔をしていた。眉間に皺が寄って、辛さを我慢しているような、そんな表情。
 思わず持っていた書類を机に戻し、ライオスの肩を抱く。
「体調が悪いんですか? 最近は仕事もサボったりしないで真面目にしてましたもんね。今日くらい休んでも大丈夫ですよ。俺と――」
「ファリンが一緒にやるから、か?」
 カブルーの声を遮ってライオスがファリンの名を口にした。眉間にはさらに皺を刻み、目を細めて。まさかそんなことを言われると思ってなかったカブルーは目を見開いた。
「最近の君はファリンととても仲が良さそうだが、君はファリンが好きなのか?」
 まさかそんな質問されるとは。しかも、痛々しそうに問い詰めるように。
 カブルーは慌ててライオスの側で膝をついて見上げるようにライオスを窺った。
「ファリンさんに対してそんな感情は抱いたことはありませんし、ライオスより親しくしたつもりもありません。どうしたんですか、急にそんなことを聞くなんて」
 ライオスらしくない、と言おうとした瞬間。ぎゅっと手を握られ、ライオスの視線がカブルーを貫く。
「それなら、カブルーは俺の友人だろう? なら、俺よりもファリンを優先するのはやめてくれ」
 まるで子供の独占欲の塊みたいなことを言うライオスに、カブルーはどきりとする。言い切ってからライオスははっとしたように口を押さえた。まるで言うつもりではなかったかのように。
「違う、すまないっ。君にはたくさんの友人がいるのに、こんな子供じみたこと……忘れてくれ!」
 相手はファリンなのに……、と嘆くように顔を覆うライオスに、もしかしてとカブルーの鼓動が早まる。
 こんなに感情的になっているライオスを見て、期待してしまう。ライオスの言うのは本当に友情だけから来るものだろうか?
 カブルーは震えそうになる手を押さえて、ライオスの手を握り返した。
「ライオス、俺はあんたしか見ていません。最近は確かにファリンさんを優先していたかもしれないけど、それも理由があったからです。信じてください」
「理由?」
 一体どんな理由が、と言いたげなライオスに、ごくりと唾を飲み込んだ。外堀を埋めてからライオスを口説き落とそうとしていた。でも、外堀を埋める必要がなかったとしたら?
「俺が、ライオスのことを、好きだから。ファリンさんはそれを邪魔したかったんです」
「そんなことでファリンが君の邪魔をする? ファリンはそんなことしないだろう」
「違うんです。俺の好きが、友人としてじゃなく、恋人になりたいという意味での好きだからです」
 言った、言ってしまった。ライオスの手をぎゅっと握って額をライオスの手にくっ付けた。まるで許しを乞うように。緊張のあまり喉がからからに乾いている。
 カブルーは裁判で判決を下されるのを待つような心情で、ライオスの返答を待つ。
 しかし待てど暮らせどライオスは何も言おうとしない。代わりにライオスの手がじっとりと汗で滲み始めた。
 まさか嫌だったのだろうかと顔を上げると、おでこも耳も、顔中をトマトのように真っ赤に染め上げたライオスがいた。心なしか瞳が水の膜で覆われて潤んでいるように見える。それが伝染したように、カブルーも顔が熱くなってきた。
「き……みが、そんな風に俺のことを想っていてくれたなんて、気づかなかった……」
「こ、これでもアピールはしていたんですよ」
「そ、そうなのか……」
 空いている手で口元を隠して視線を逸らすライオス。たまらずぎゅうと抱きしめたくなったが、そこはなんとか自制する。
 ライオスは何か言おうと数秒の間、逡巡した後、ようやく口を開いた。
「正直、そんな風にカブルーのことを考えたことがなかった。でも、さっき、恋人になりたいと言われて、嬉しかった……これって、そう言うことなのかな。俺も、君のことがす、好きなのかな」
 顔を赤くしながら聞いてくるライオスに、カブルーの心臓はもう早鐘を打つどころじゃなかった。全力疾走した後のようにどくどく血液が身体中を回っている。
「俺に聞くと、俺に都合の良い答えしか言えないですよ」
「……うん、良いよ。カブルーにとって都合の良い方にとってくれ」
 擽ったそうに笑うライオスに、カブルーは逆に心臓が止まってしまうかと思った。再びライオスの手に額を擦り付け、涙が出るのを堪える。そんなカブルーの心配をして、ライオスが「カブルー?」と何度か声をかけてきたが、嬉しすぎてなかなか返事ができなかった。
 こうしてカブルーとライオスは想いを交わし合うことになったのだった。

「あーあ、ファリンの兄ちゃん、カブルーくんに取られちゃった」
「結果的に、あなたのおかげでライオスが自覚してくれたので感謝してますよ」
 いつかの時のようなお茶会。今度はファリンは悔しそうにフルーツケーキを食べていた。お礼というか、彼女から兄をとってしまったお詫びに。
 ファリンはフォークを動かす手を止めずに、しかしどこかしょんぼりしている。自分の行動を後悔しているのだろう。
「本当は知ってたよ。兄さんがカブルーくんのこと、特別に好きなんだって」
「えっ、そうなんですか!?」
「兄さんは自覚してなかったけどね」
 しばらくは自覚させるつもり、なかったんだけどなぁ。そんな風に呟くファリン。呟いてから、行儀悪くびしりとフォークでカブルーを指した。
「兄さんのこと泣かせたら、許さないからね。カブルーくん」
 ライオスと同じ琥珀色の瞳がカブルーを射抜く。真剣な表情に、カブルーもまた真剣な表情で答えるのだった。
「当然です。むしろ、世界で一番幸せにしてみせますよ。ライオスが泣くときはきっと、嬉し泣きですからご心配なさらずに」
 決して彼を悲しませることがないよう固く決意を改める。ライオスのことを幸せにするために、大切に彼を愛していこうと。
 ファリンはその答えに満足したのか、普段浮かべている笑顔になった。そして背後に声をかけるように、
「だって、兄さん。よかったね」
 と言い放った。
 カブルーが「え、」と思うと同時に、壁の影からライオスが出てくる。その顔を真っ赤にして。
「盗み聞きをするつもりはなかったんだ。たまたま通りかかったら二人の会話が聞こえて」
 そのまま立ち聞きをしていた、と。世間ではそれを盗み聞きするというんですよと指摘したくなったが、カブルーが言ったことは間違いなく本心なので何も恥じることはない。
 ただ、ライオスの気配に気づけなかったことの方がショックだった。ライオスとの関係を認めてもらうため、それだけファリンとの会話に集中していたということだが。
 ライオスが近づいてきて、カブルーの隣に座る。
「俺がカブルーと恋人になっても、ファリンは大切な妹であることは変わりないんだ。何も心配しなくていい」
 テーブルの上に置いていたカブルーの手に、ライオスがそっと自分の手を重ねた。カブルーはそんな何気ない所作にどきりとしつつ、視線はライオスに向いたまま。
 ファリンはきょとりとして、それからくすくす笑う。
「わかってるよ。兄さんは私のこと、大事にしてくれてるって」
 そう言ってファリンはフルーツケーキの最後の一口を食べると、ぐっと背伸びをした。
「見せつけられちゃった。もうお腹いっぱい。兄さん、カブルーくん、幸せになってね」
 私はまた旅に出てくるから、と言い残してファリンは去っていった。ライオスはその後ろ姿にただ一言、「気をつけるんだぞ」とだけ投げかける。
 残されたカブルーとライオスは、どこか気まずい気持ちになりつつも、そんな空気も悪くないと思っていた。
 そんな中、ライオスがカブルーの手をきゅっと握る。
「カブルーは俺を世界で一番幸せにしてみせると言ったけれど。それは俺も同じ気持ちだから」
 まさかそんなことを言われると思っていなかったカブルーの目が見開く。
「だから、二人で世界で一番幸せになろう」
 ――この国で。緊張した面持ちで言い切ってやったぞと、どこか満足げな空気を醸し出しつつライオスは一息ついた。
 やはりこの人には勝てないないな、とカブルーは思いながら、それに答える。
「もちろんです。この国で、世界中の誰よりも幸せになりましょう。ライオス」
 にこりと微笑んで見せれば、つられたようにライオスも笑った。畳む
    

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